松本隆さんといえば、洗練された歌詞を作る作詞家として有名で、独自の世界観で数多くの名曲を生んできましたね。
プロフィールなどのプライベートも気になるところですね。
そこで今回は、作詞家・松本隆さんのwiki経歴や高校大学の学歴、歌詞の代表曲や歌い手などを見ていきたいと思います。
松本隆のプロフィール
- 名前:松本隆(まつもと たかし)
- 生年月日:1949年7月16日
- 年齢:73歳
- 出身地:東京都港区
- 居住地:兵庫県神戸市
- 職業:作詞家、音楽プロデューサー
松本隆さんは、東京都港区生まれの73歳です。
松本隆の生い立ち
松本さんの父親は、元南九州財務局長・仙台銀行相談役の松本亘司さん、母は伊香保温泉の石段街にある明治時代から続く写真館の娘さんの知子さんです。
母親の知子さんの少女時代は「伊香保小町」といわれるほどの美人だったそうで、国鉄のポスターモデルにもなったという。
松本さんは、生まれ育った青山を基点として、乃木坂や麻布、六本木や渋谷界隈などで多感な時期を過ごしており、心の拠り所として愛しているそうです。
また、音楽的にはビートルズの影響を強く受けたと語っています。
松本隆の経歴・学歴(出身中学・高校・大学)
出身中学・高校・大学
松本隆さんの出身中学・高校は慶應義塾中等部、慶應義塾高等学校を卒業されています。
慶應義塾高等学校は私立の男子校で、偏差値も「76」と神奈川県内の私立公立高校のトップという進学校です。
大学は、慶應義塾大学商学部に進学しましたが、中退されています。
主な経歴
松本隆さんは1968年に、細野晴臣さんのバンド「バーンズ」に、小坂忠さん・柳田博義さん・菊池英二さん・細野さんらに誘われ、エイプリル・フールを結成しました。(当時の名義は「松本零」)
その後、細野さん・大瀧詠一さん・鈴木茂さんと「バレンタイン・ブルー(後のはっぴいえんど)」を結成しています。
松本さんが作詞を始めたきっかけは、細野さんから「こんな詩を書け」といわれて渡された輸入盤レコードの歌詞を、大学の友人に訳してもらい、自分なりに似せて作ったところから始まったそうです。
その後、作詞家の他に音楽プロデューサーを兼ねるようなります。
歌謡曲の作詞をするきっかけは、「アグネスチャン」さんの「ポケットいっぱいの秘密」がスマッシュヒットしたことに始まるそうです。
その後「チューリップ」「夏色の思い出」を作詞し、これが作曲者として名を成していた筒美京平さんの目に留まったことから、一緒に仕事をするようになったそうです。
松本隆の代表曲や歌い手は?
松本隆さんは、1970年代に「木綿のハンカチーフ」を作詞し、その後「原田真二作品」の作詞を手掛けて世間に知られるようになったそうです。
松本隆さんの主な代表曲や歌い手は次のとおりです。
- 中原理恵:「東京ララバイ」
- 桑名正博:「セクシャルバイオレットNo.1」
- 近藤真彦:「スニーカーぶる〜す」
- イモ欽トリオ:「ハイスクールララバイ」
- 大瀧詠一:「A LONG VACATION」(アルバム)
- 寺尾聰の「ルビーの指環」
松本隆さんの代表曲の一部をご紹介しましたが、その他にも松田聖子さんや薬師丸ひろ子さんをはじめ、斉藤由貴さん、中山美穂さん、C-C-Bさんなど多数のアイドルやアーティストに詞を提供しています。
松本隆の経歴まとめ
今回は、作詞家・松本隆さんのwiki経歴や高校大学の学歴、歌詞の代表曲や歌い手などを見てきました。
松本隆さんは、東京都港区生まれの73歳です。
松本さんは生まれ育った青山を基点に、乃木坂や麻布、六本木や渋谷界隈などで多感な時期を過ごしてきました。
慶應義塾高等学校から慶応大学に進学し、その後音楽の道に進みます。
細野晴臣さんや大瀧詠一さんなどとバンドを組み、作詞家・そして音楽プロディーサーとして活躍していきます。
作曲家・筒美京平さんとのコンビでは数多くの名曲を生み出しています。
今後の更なる活躍も期待されますね!!