自民党の小野田紀美参院議員が、第2次岸田改造内閣の防衛政務官として就任されました。
そこで今回は、小野田紀美議員の若い頃は卑弥呼になりたかったというがその真意は何か、また、政治家を目指した理由や経歴を調査しました。
小野田紀美のプロフィール
- 名前:小野田紀美(おのだ きみ)
- 生年月日:1982年12月7日
- 年齢:39歳
- 出身地:アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
- 前職:ゲーム制作会社社員
- 選挙区:岡山県選挙区
- 所属政党:自民党(茂木派)
小野田紀美議員は、自民党所属の参議院議員として当選回数2回の政治家です。
菅義偉内閣では法務大臣政務官、そして今回の第2次岸田改造内閣では、防衛大臣政務官に就任されました。
小野田紀美議員の出生地はアメリカのシカゴです。
父親はアメリカ人で母親は日本人のハーフです。
出身中学・高校・大学
1歳から岡山県で生活し、中学・高校は地元岡山県の清心中学校・清心女子高等学校を卒業しています。
出身大学は、拓殖大学政経学部政治学科で、在学中に、高等学校教諭1種免許(公民)を取得しています。
大学卒業後は、ソニー銀座プレイステーションアテンダントや塾講師、雑誌編集、モデル等で活動されています。
その後、株式会社アスガルドにて広報プロモーションや制作、ブッキングなどを行っています。
小野田紀美の若い頃は卑弥呼になりたかった?
小野田紀美議員は正義感旺盛で、小学生の頃は正義の味方を目指していたという。
しかし、悪い事を見つけて止めようと思っても、隠れた場所で行われたら自分には手が出せないという現実のジレンマに悩んだそうです。
その結果、正義の味方という職業がこの世界にはないらしいと気付いたという。
そんな中、学校の図書館で偶然読んだ「まんが日本の歴史・卑弥呼」が、女王になったことで国が強く豊かに、そして平和になったことから、小野田議員の夢は「卑弥呼になる=政治家になる」となったようです。
若い頃から悪事や理不尽なことに対して、敢然と立ち向かう強さがあったのですね。
小野田紀美が政治家を目指した理由
小野田紀美議員が政治家を目指した理由は、悪事や理不尽なことに対し、正義の味方になって日本を変えることだったようですね。
しかし、中学・高校・大学と変わらず政治家を目指し続けるも、「地盤・看板・鞄」何一つ持たない自分がどうやって政治家を目指せばいいのか答えが出なかったそうです。
そして、大学で政治を学びつつ、タレント議員になるしか道はないのではと思ってしまい、モデルやバイトをしても迷走するばかりだったようです。
そして、考え抜いた末の結論は、「25歳までは被選挙権がないから、それまでは色々な職種や業務形態で仕事をして社会を知ろう」と思ったそうです。
そして、塾講師や雑誌編集、ショールームアテンダントなどに勤務し、バイトや契約社員で働いた後、せっかくなら好きな事を仕事にしようとCDゲーム制作会社で制作や広報PRとして働くようになったそうです。
ゲーム会社に勤務しながら、TOKYO自民党政経塾にも通い、政治家への道を模索していたという。
小野田紀美の主な経歴
- 2011年:TOKYO自民党政経塾5期生を経て、北区議会議員に初当選
- 2015年:北区議再選
- 2016年:参議院議員通常選挙に自民党公認として出馬し、当選を果たす。
- 2019年:竹下派へ加入
- 2020年:菅内閣で法務大臣政務官に就任
- 2022年:公明党の推薦見送りにあうも、参議院議員通常選挙で18万票差で圧勝しています。
- 2022年:第2次岸田改造内閣で防衛大臣政務官に就任
小野田紀美の若い頃まとめ
今回は、小野田紀美議員の若い頃は卑弥呼になりたかったというがその真意は何か、また、政治家を目指した理由や経歴を調査しました。
小野田紀美議員は、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ生まれの39歳。
アメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれました。
小さい頃から正義感が強く、正義の味方になって平和な国を作りたいと思っていたようです。
小学生時代に感銘を受けた「卑弥呼」から、「卑弥呼=政治家になりたい」という強い思いをもち、政治家の道へと進んでいきました。
第2次岸田改造内閣では防衛政務官という重要ポストに就任し、今後の活躍に期待したいですね。